いざ、さらば。

普段着が着物で骨董品の類が好きなブックジャンキー。最近は消しゴムはんこでブックカバーだの葉書だの作ってる。Twitterもやってます。→https://twitter.com/hagimori_kei
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女戦士フュリオサと捨てなければならなかったもの

女戦士フュリオサと捨てなければならなかったもの

私はネタバレ大丈夫な人間なので、気が向けば鑑賞前に他者の感想や分析も読みます。マッドマックスについて割とよく見たのは「神話性」と「フェミニズム」。鑑賞後これらについてよくよく考えていますが、私的には神話性はかなりアリです。でもフェミニズムについてはちょっとピンとこない。

私は直球なフェミニズムよりも、ウォーボーイや子産み女たち、そしてフュリオサという虐げられてきた者たちの人間的な闘争「ジェンダーフリー」として感じました。(フェミニズムとジェンダーフリーの違いについては各自検索をどうぞ。)

イモータン・ジョーの統治するシタデルでは、一人の人間にひとつの役割しか与えられていない。ジョーの妻であるから愛情とか性欲とかのために追うのかと思いきや全くもって文字通りの「子産み女」として扱われる5人の女性たち、母乳を採るために太らされ搾乳機にかけられる多数の女性、そして戦闘のために生産されるウォーボーイたち。これらの一度与えられた男性性・女性性の極地ともいえる役割はおそらく一生覆ることなく、それ以外の人生は許されていない。

人間性の完全なる否定(自由意志の否定)が、蟻等の真社会性生物の世界を形作るわけです。そして冒頭のマックスが生ける血液袋としてこの社会に「管理」されるための背中のタトゥーから、その社会概念はかなり完璧に(少なくともウォーボーイたちには)浸透していた。

さて主人公のマックスだが、彼は基本的に人と関わることを好ましく思っていない。主人公でありながら物語を動かす位置には居ない人物である。実質的に物語を動かしているのは女戦士フュリオサだ。「怒りのデス・ロード」を直走るのは彼女であり、一番この世界に対して憤怒しているのも彼女である。マックスはそれに寄り添って戦うし、「子産み女」たちは最初はもたついたりしたものの、それぞれの方法で二人を助けたり戦ったりする。

当たり前だけれど、このジョーの妻たち5人にも性格や個性が見られる。ジョーの子を妊娠している5人のリーダー的存在であるスプレンディド、たまに鋭いことを言い鉄騎の女たちと絆を深めたプラチナブロンドのアビー・リー、一番若くおそらく外界を知らないために途中でシタデルへ戻ろうともした黒髪のフラジール、凹んでいたニュークスを慰めた美しい赤毛のケイパブル、小柄で活動的であり5人の中で最初に銃を手に取った黒い短髪のトースト。

何の根拠もないのだが、私はこの5人は「ひとりの女性がもつ女性性」の記号でありフュリオサが女戦士になるにあたって、捨てなければならなかったものたちではないかと感じた。(全体的にはその「女性性」の解放=フェミニズム、の意ではないかなとも)

男性性・女性性の極地ともいえる役割(階級?)を強制される社会において、女戦士のフュリオサはその境界に立つ者ともいえます。彼女の左腕が肘下から無く義手をつけているのも、「失ったもの」の記号に思えてくるくらいには。

フュリオサの腕がいつなくなったのか、というのは作中描写されない。先天的にないのか緑の地以前以後か全く語られない。繰り返しになるが、フュリオサは緑の地という外界から攫われてシタデルに来た人である。攫われた理由としては多分「子産み女にするため」、そしてそうならなかった理由も同じく語られないが、おそらく「妊娠出来ないあるいはしにくい体」であるから。これは憶測なので実際はわからないが、スプレンディドの遺体から(死産ではあるが)赤ん坊をとりあげる医者らしき男がいたことから検査くらいはしただろう。その前にマックスをO型血液袋にするくらいだし、医療関係はそれなりだったのでは。

フュリオサを演じたシャーリーズ・セロンが、「支配者は過去に彼女を深く傷つけたから、彼女は支配者の大事なものを奪った。彼から大事なものを奪われたから」と語る場面がある。http://news.aol.jp/2015/06/16/furiosa/

これをフュリオサの人格・人間性・女性性を傷つけたから、と変換することは偏った思考だろうか?

そしてそれらを傷つけられ、捨てることを強制された彼女は「女性性」のみを要求される(人格・人間性を捨てることを強制される)女性を解放するために動く。

(続く)

追記:原題の「Fury Road」のFuryの意味は激怒とか憤怒だけどギリシャ神話の復讐の女神に由来しているらしいですね。まさにフュリオサ。

追記2:自分で書いたことだけどもやもやしたので。フュリオサが子産み女にならなかった理由は別に身体的な理由に限らず、抵抗が激しすぎて子産み女として御せそうにないから他に活かそうとかでもいいです。問題なのは「女性として」女性機能(という言葉も問題あるけどこのシタデルでは妊娠出産だけが女の役割として強制されているので)の拒否が許されていない社会、女として役に立てないなら(男に気に入られる女でいられないなら)男になれと言われる社会だと思います。徹底して人格と自己決定権を剥奪していく社会。フュリオサはそこにNOと叩き付けて自分を抑圧してきたものに復讐するから、痛快で美しいわけです。

フュリオサの凄さはそれだけではなくて、復讐の対象を「男性全て」ではなく「自分を抑圧したもの」と限定して実行したところ。だから自分に協力するマックスやニュークスは受け入れた。単純な記号に惑わされて主語を大きくすることなく的を絞って一撃必殺。そうした精神にマックスより上であるフュリオサの射撃の腕も反映されている気がします。

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