いざ、さらば。

普段着が着物で骨董品の類が好きなブックジャンキー。最近は消しゴムはんこでブックカバーだの葉書だの作ってる。Twitterもやってます。→https://twitter.com/hagimori_kei
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狂人マックスとイモータン・ジョーの背中

狂人マックスとイモータン・ジョーの背中

「マッドマックス 怒りのデス・ロード」について感想を書こうと思います。

まず私は前三作「マッドマックス」「マッドマックス2」「マッドマックス サンダードーム」については全く知りませんでした。ただなんとなく前評判というか、おじさまな方々が楽しみにしてらっしゃるなーくらいのもんです。

あ、あと日本語吹き替えがひっどいとか、ジェンダー問題がどうとか神話的ヒャッハーであるとかそういう方向。

で、見てみた。
確かに何も考えずに見ても面白いしアクション派手だしヒャッハーだし。でも「ここに居たら人間でいられない!→逃げよう!→逃げるよりも元の場所に戻って相手をぶっ潰そう!」という行って帰ってくる話の単純さの割に相当に作り込まれて緻密で、人間的なものに訴える力がある。緻密すぎて何から語ればよいやら。

まず鑑賞後に感じたのは、登場人物の背景についてほぼ描写が皆無という点においてかなり(マックスの視点だから?)男性的な語り口というか、以前読んだジョジョとベルセルクの比較みたいなものが頭を駆け巡りました。(人物の心情はともかく出来事を淡々と描くジョジョと、登場人物の心情境遇含めて全てを語る形式のベルセルク)

例えば「子産み女」たち脱出の主犯(?)である隻腕の女戦士フュリオサは、緑の地から母とともに攫われて現在に至るというが何がどうなって女戦士、しかもトレーラーを任されるほどの地位についたのかが全く語られない。
同じくウォーボーイとして生きてきたのにいつの間にか仲間に加わっていたニュークスについても、誰から生まれどのように生きてきたのか(皆似たような顔つきのウォーボーイたちから察するに、機械的に「生産」された存在であるのは間違いないだろうが)その過程は作中示されない。
別にこれらは不満でもなければ、作中には不要な情報で蛇足であり、もしかしたら監督のインタビューや設定なんかにはあるのかも知れない。しかしこの「出来事中心」の構成は、さりげなく足元の土の下奥深くにある水脈のように、大事なことは観客の解釈にのみ宿ることを強く意識させられる。

(続く)

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